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豆知識
若草山の山焼きに関する情報をお送りします。
・山焼きの由来 ・若草山の由来
・鶯塚(うぐいすづか)古墳 ・昔の若草山
・燃焼対策 ・知られざる若草山

 山焼きの由来
若草山は九折山(つづらやま)と呼ばれており、三重目の頂上は前方後円の巨大な鶯塚古墳である。江戸末期まで、この鶯塚古墳はウシ墓と呼ばれ、ここから出る幽霊が人々をこわがらせるという名神が長く続いていたらしく、しかもこの草山を翌1月頃までに焼かなければ、翌年に何か不祥事件が起きるといったことで、通行する人が放火し東大寺境内の方に火が迫る事件が再三起こった。
元文三年(1738)12月に、奈良奉行所は九折山に放火停止の立札を、山の枯れ草が青芝になる正月から三月まで立てた。
しかし、その後も放火事件が起こり、結局その犯人は検挙されぬまま、誰が焼くともなく焼かれるようになった。それは山上古墳の鶯陵に葬る霊魂を鎮めるそまびとの祭礼ともいうべきもので、供養の為でもあった。
なお俗説として春日・興福寺と東大寺の領地争いがもとだと伝わっています。

明治以降をみると、明治11年2月23日に行われ、現在のように夜間行事となったのは同33年2月17日です。(春日日記)戦前は、2月11日に行われ、昭和25年からは、成人の日であった1月15日に行われていました。

平成12年からは、祝日三連休化を目的とした祝日法の改正により、曜日指定となった「成人の日(1月の第二月曜日)」の前日の日曜日に行われています。
 若草山の由来
若草山は古くから葛尾(つづらお)山、九折(つづらお)山といわれ、江戸時代中期にもこの名前で呼ばれています。奈良時代の終わりから平安時代の歌には若草山の名前がでてきますが、葛尾山の雅称であったようです。葛尾山の記述は、1589年の「多聞院日記」にも見られ、当時もまだこの名前で呼ばれていたといえます。

若草山という名前は文久元年(1861年)古地図にはその名称が記載され、この頃は「若草山」の名前の方が一般的になったことがうかがえます。
 鶯塚(うぐいすづか)古墳
実は若草山の山頂には5世紀頃築造された鶯塚古墳があります。全国的にも山の山頂に作られた古墳はめずらしいそうです。南向きの前方後円墳で全長103m、前方部幅50m、後方部径約61m、の2段築成で、墳丘前方部の各所と後円部西側に円筒埴輪列が確認されている。又後方部の頂上に亨保十八年(1733年)に建てた「鶯陵」の碑があります。

これは、江戸時代の知識人の間に女流作家、清少納言が「枕草子」に「みささぎは、うぐいすのみささぎ、かしはらのみささぎ、あめのみささぎ」にいう「鶯陵(うぐいすのみささぎ)」であろうとの伝承が広まり、平城坂上墓(仁徳天皇皇后)と考えられていた為に建てられた碑だそうです。しかし「日本書記」には皇后は那羅山に葬ったとされているようです。
 昔の若草山
東大寺境内図(756年)によると、現在の若草山の場所に木が生えていることから、奈良時代には現在の春日山と同じような樹林であったようです。
鎌倉時代の建長7年(1255年)には農民が若草がよく生えるように新春に野焼きを行った記述があり、既に樹林はなく今の状態に近い草山だったと考えられます。

昭和20年頃の若草山は今みたいに一重目中腹に人が入れないように柵がしてあることはなく誰でも自由に山の出入りができたそうです。それに驚くべき点は今みたいにすすきがほとんどなく全面芝生に近い山で、ほんとうに若草山であったようです。

それでも、山焼きの時は芝生のたけが10cmほどあったのでがよく燃えたそうです。今みたいにススキほどの火の勢いはないのですが、徐々に燃え広がっていく光景は見事だったそうです。

若草山は昭和初期から入山料をとって芝生保護をしてきました。昭和20年頃は入山料5円だったそうです。それから、10円、20円、50円と上がっていき現在150円になったそうです。

昭和20年代は春秋シーズンの日曜日は京阪神からの日帰りコースとして大変賑わったようです。しかし、大変なことがあって月曜日の若草山は新聞紙の山だったそうです。というのも、日曜日お弁当を新聞紙でくるんで来てあと捨てていったそうです。当時包むものといえば新聞紙だったんですね。あとのゴミの処理は大変だったそうです。
 燃焼対策
若草山は芝、ススキなどの草本植物で覆われた草地で親しまれています。この草地は鹿の喫食、入山者の踏圧、山焼きなどのかく乱圧のもとに成り立っています。

ところが、この若草山の山焼きは一時期、昔に比べて燃焼する炎の勢いが弱くなったことから、燃焼する植物の現況を把握し、解析・検討するため平成2年に「若草山草地復元計画調査」が実施されました。

その内容は、近年人が踏み入ることによる裸地化やさらに雨よって斜面が削りとられことによる裸地化の拡大、燃えにくくかつ鹿の餌にもならないシダ類の増加による芝・ススキの被圧などが目立ってきており、その対策を検討したものとなっています。

もともと若草山はほとんど芝生の山で人が自由に出入りできたのですが、人が入ると道ができてしまい、その結果道が裸地となってしまいます。さらに斜面に道ができてしまう為、雨で削られその裸地がさらに拡大するという被害がでます。又もともと若草山は火山ですから、その削られた裸地から石が転がり落ちて非常に危険であるということもあって、昭和3年以降芝生保護のために入山制限を行っています。2001年の若草山の開山時期は、春(3月18日〜6月17日)と秋(9月8日〜11月25日)のみとなっています。この開山時期は春と秋ですが、日程は毎年多少変わるそうです。

入山制限をするようになると芝生の保護にはなるのですが、それまでに人がワラビ採りなどをして繁殖が押さえられていたシダ類が生育するようになります。シダ類の発芽は非常に早く、ススキなどの芽だし成長を著しく抑制してしまいます。

現在は6月ススキの芽が出る時期にワラビを刈り取ります。又さらに再び上層に繁る場合は、7月中にワラビの葉刈をすることにより成長を促進するという対策をとっているようです。又、ススキの植え替えや裸地復元の土壌改良も行われています。
 知られざる若草山
その1
若草山は昔火山だった。
というのは、若草山の南斜面から鈴石と呼ばれる石が採取できたそうです。この石は振るとからからと音がするそうです。石の中に砂とか水が入っているそうなのですが、これは火山の爆発のときに溶岩が砂や水蒸気を巻きこんで、そのまま冷えて固まったものだそうです。火山地方に特有の石だそうです。
これがその石です。春日野においてあります。ちなみに今はほとんど採れないそうです。奈良って以外と火山が多いんですよね。どこ掘っても温泉でるって話聞いたことありませんか?
その2
若草山のグラススキー場
昔、南斜面にグラススキーのできる場所があったそうで、みなさんすべっていたそうです。今は鹿避けの柵とかあるからできませんね。

その3
若草山に戦闘機墜落!!
みなさんご存知奈良はほとんど空襲にあわなかったそうなのですが、昭和20年頃の戦時中には戦闘機が奈良の上空を通過したそうです。春日野の土屋社長の話によるとそのうちの1基が若草山の南斜面に墜落したそうです。その頃は社長も小学生で近所の子と見に行ったそうです。うわさによると、戦闘機ではなく日本軍の練習機だったそうです。これは、みなさん知らないでしょう。

その4
カミナリの鳴ったらウリボウが・・・
若草山の前にある春日野の2階からは若草山を一望できるのですが、カミナリが鳴る雨の日にじっと中腹あたりを眺めていると、なにやらものすごいスピードでうごめく物体が2体、よくよく見ると猪の親子がカミナリの音にびっくりして右に左にと走り回っているのです。これが結構笑えるらしい。でも昔は猪はいなかったそうです。どうもゴルフ場開発で、住みか追いやられた猪が奈良公園に出没するようになったそうです。若草山に登るときは、猪に注意してね。
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