
節分のこの日、元興寺では柴燈護摩会(さいとうごまえ)が行われます。節分と言えば鬼が登場しますが、元興寺と鬼との関係は密接な繋がりがあります。その昔、元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て民衆をこわがらせていました。丁度その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、この鬼の毛髪をはぎとって退治したという有名な説話があります。この話から、邪悪な鬼を退治する雷を神格化して、八雷神(やついかつちのかみ)とか元興神(がんごうしん)と称することになり、鬼のような姿で表現するようになりました。どうも悪い鬼、良い鬼という区分になってしまったようです。
| 行事は本堂の不動明王を供養した後、山伏の行列、日本最古の柔術である竹内流の演武の奉納と続きます。そしてこの演武の後行者が護摩行をする場所に6本の矢を放ち結界を張ります。四方、中央にある護摩壇、そして鬼門に弓を射て魔を祓います。宝弓の儀といわれている儀式です。放たれた矢は持ち帰ると良いそうでみなさん取り合いでした。 |
| 次に宝剣の儀(ほうけんのぎ)が行われ、刀を護摩壇の前で振ります。これは最後の魔を切るという意味があります。そのあと元興寺住職 辻村泰善氏の経典の読み上げがあり、いよいよ護摩壇に火が入れられます。護摩とはインドから伝わったもので、空海の孫弟子が仏教に取り入れたとされています。柴燈護摩(さいとうごま)とは野外で行う護摩法要のことを言います。真言系は柴燈と書き、同じ読みでも天台系は採燈と書くのだそうです。真言系の柴燈から火をもらったのにちなんでいるのだとか。 |
| そしてこの柴燈護摩法要を仕切るのは毎年、元山上 千光寺より大塚静遍氏に来てもらって行っています。真言律宗の元興寺なので行者さんがいても不思議ではないのですが、よく調べてみると修験道の開祖、役小角(えんおずの)は14歳のとき飛鳥にあった元興寺の慧観(えかん)を訪ね孔雀明王の呪法を学んだとも伝えられています。さらに生駒に住んでいた夫婦の鬼を従えたとの記述もあります。どこかで繋がっていそうな興味のある話です。 護摩壇に火がくべられるとものすごい勢いで炎立ち上がります。護摩木が読経とともに投げ込まれ祈願されます。 |
| 炎も30分程経つと弱くなり、薪木がばらばらにされ並べられます。そしてその木の上を裸足で渡る「火渡り」の行が行われます。お札を買えば一般参加可能なので多くの人が渡っていました。火に入るということは、仏に1歩近づくということを意味し、それに向かう勇気を見せることが重要なのだそうです。小さい子も結構参加してました。お清めの塩がまかれた木の上を山伏が気合を入れてくれて一気に渡って行きます。 実はこれ渡った人の話によるとそんなに熱くないそうです。でも欲深き人は熱いようです。 |
