初めて奈良の観光に来た人が近鉄電車に乗ると、西大寺から新大宮駅までのすっぽりと空いたこの空間に驚かされることでしょう。ここが1300年前に都の中心があった場所です。
| 都があった当時、建物の柱のあった場所にはツゲの木が植えられており円柱形に刈られています。建物跡には張り芝、周辺道路には砂利敷き又は舗装道路、築地塀跡に約500mにわたるサザンカが植えてあり、いにしえの雰囲気を感じることができます。 |
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現在、平城遷都1300年祭に向けて平城宮創建当時の大極殿(だいこくでん)が復元されています。大極殿は天皇が即位や儀式、また外国からの使途をもてなしたとされる場所です。 実はここには大極殿跡が2ヶ所あってもう一つはというと、740年に平城京から恭仁京に都が移り、難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、元の場所とは別の場所に建てられました。これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。復元されているのは第一次大極殿の方で、第二次大極殿跡には基壇と柱跡が復元されています。 |
| 現在は着々と発掘、復元がされている平城京であるが、ここまで来るには長い道のりがありました。平城京が終わったとき都が長岡京に移されると、平城宮内の建物もいっしょに移築されて放棄されてしまいました。跡地には田んぼが作られたのですがその結果、遺構は水分を含んだ土の下に埋もれてしまい、時代が経つにつれ平城宮の跡がわからない程になったようです。 |
| 平城宮跡の保護に尽力を注いだのは、「棚田嘉十郎(たなだかじゅうろう)」です。奈良公園の植木職人であった嘉十郎は場所がわからなくなるほど荒れ果てた平城宮跡を保存する為、上京し多くの著名人の署名を集め地元の有志に援助を求めます。 その努力が実り1910年(明治43年)には平城遷都1200年祭を成功させ、1913年(大正2年)には「奈良大極殿趾保存会」が設立され念願がかないます。その後1921年(大正10年)に私財を使い果たし心労で嘉十郎は自害してしまうのですが、翌年には支持者の努力により国の史跡として保護されることになります。銅像の右手には平城宮跡から出土した瓦、左手は大極殿跡を指差しています。 |
| 国の史跡となってから実際に発掘作業が開始されるのはずいぶん時間が経って昭和の戦後から開始されました。 今まで復元された建物に、平成10年に完成した朱雀門があります。朱雀とは鳳凰(ほうおう)の事です。高さ22m、間口約25m、奥行き10mありなかなか立派です。 この朱雀門から南に伸びる道が平城京のメインストリートの朱雀大路です。幅74mあり大和郡山市にある羅城門跡まで約4kmまっすぐ伸びていました。現在はすぐ南の国道までしかないのですが、全体を公園として復元する計画があるようです。 |
| 夜の朱雀門は毎日ライトアップが行われています。中には入れないのですが、遠くからでもその姿は闇夜に幻想的に浮かび上がり、とても美しいです。 この平城宮跡は1998年奈良県では2番目に世界遺産に指定されています。実はまだ発掘調査が3割しか終わっておらずこの調子で行けばあと100年かかるようです。今でも木簡や生活道具か数多く出土し、当時の生活様式を知る貴重な資料となっています。これからどのような事がわかってくるのか楽しみです。 |

