| ここ宇陀川沿いにある大野寺は室生寺の末寺になります。寺伝によると白鳳9年(681年)に修験道の開祖である役小角(えんおづの)がこの地を大峰山修験道の修行の場にしたとされています。そして天長元年(824年)に弘法大師が室生寺を開創のとき、この地を「室生寺西の大門」と定め一集落を作り、本尊の弥勒菩薩(秘仏)を安置して慈尊院弥勒菩薩寺と開きます。その後、地名をとって大野寺と名づけられたとあります。元々は大野寺山の山頂に寺がありましたが、兵火による再建でこの場所に移されました。 |

| 春の境内には樹齢300年を超える枝垂れ小糸桜が2本、他にも樹齢100年の紅しだれ桜30本があり狭い敷地内に見事に咲き誇ります。この小糸桜の品種は全国的にも珍しく、室生寺の近くにある西光寺にある城山之桜が親木だとされています。またこの桜は宇陀川上流にあることから種が流れてきて根付いたのではとも言われています。じっくり見ると枝ぶりが似てるような気もします。西光寺は近くなので車の方はこちらも合わせて見に行かれると良いと思います。 桜以外にも雪柳やモクレン等多くの花が植えてあり春が存分に楽しめます。 |
| 大野寺のもう一つの見どころは、宇陀川を挟んだ対岸の岩に掘られた弥勒麿崖仏(みろくまがいぶつ)です。このあたりは室生山火山群で巨石が数多く存在します。大野寺の対岸にあたる大岩壁に掘られた弥勒断崖仏は鎌倉時代の初期、1207年興福寺の雅縁大僧正の発願で、後鳥羽上皇の勅願によって造られました。高さ33mもある弥勒岩に凹みを作り、中を水磨きして、そこに弥勒仏の立像が線刻されました。仏像の高さは11.5mと迫力があります。描かれている弥勒仏は美しく、優雅で他に類を見ないすばらしい作品です。 |
| 天平時代に作られた京都の笠置寺の麿崖仏を模したとされていますが、残念ながらこちらの麿崖仏は兵火で線刻が剥がれ落ちてしまいその姿を見ることはできないようです。 実はこの大野寺の麿崖仏も地下水が漏れ出し崩壊の危機があり、1993年から1999年まで6年かけて保存修理工事がされました。そのおかげで以前より線刻がはっきり見えるようになりました。午前中は逆光になるので見えにくく、どちらかと言うと夕方の方がはっきりと線刻が見えるようです。 |
| これだけの線刻は何人もの宋の石匠によって作られ、最終段階の仏像の線刻はわずか9日間でされたとあります。すごい技術もさることながら、一大事業であった事を想像させます。 どちらかというと、大野寺は弥勒石仏を守る寺として存在しているようです。本堂横の奥には遙拝(ようはい)所が新しくなって、正面に弥勒麿崖仏が拝めるようになっていました。道と川を挟んだ遠くの仏様を拝むのは少し不思議な感じですが、大自然の中に仏様が存在するのは意味深いものがあると思います。 |

