| ここは橿原市、藤原京にあった薬師寺跡です。奈良の薬師寺は藤原京から平城京に遷都されるときにこの地より建物が移されたとされています。移された薬師寺と区別する為、ここは「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」と呼ばれています。 現在はこの地に建物はなく礎石と土壇を残すのみとなりました。薬師寺ですが680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)が病気を患ったとき病気平癒を願い建立を決意します。その後無事に皇后は元気になるのですが、今度は天武天皇がご病気になり6年後の686年に天武天皇が崩御します。 |
| その後皇后が持統天皇となり天武天皇の想いを引き継ぎ本薬師寺の建立を引き継ぎます。実際いつから建立が始まったのか不明なのですが、天武天皇の時代には建立が始まっていたと考えられます。そして698年頃にはほぼすべてが完成しました。この頃には持統天皇は皇位を孫に譲り、その4年後に今度は持統天皇が崩御します。 この薬師寺は天武・持統天皇の夫婦愛によって作られたお寺であったと言えます。そしてその夫婦愛を象徴すべく天武・持統天皇御陵は中睦ましく夫婦合葬墓となっています。 |

| 平城京遷都移転後の本薬師寺の記録は、ほとんどない状態になってしまったようです。ただ、発掘の結果今の薬師寺と建物の大きさ、柱の間隔などすべて同じであったことから完全に移築されたと思ったのですが、当時移転後も一部建物は残っていたという記録もあり議論がされているようです。 歴史的には重要でも建物がないと一見見逃してしまいそうなこの場所ですが、数年前から休耕田を利用してホテイアオイが植えられ、観光地としての人気が高まっています。 |
| 近くの畝傍北小学校の子供たちが近くの農家の人達をいっしょに植栽したのだそうです。ホテイアオイは亜熱帯アメリカ原産の水草で、茎の根元が膨らみそれを浮き袋として池にぷかぷかと浮かんでいます。その姿が七福神の布袋さんに似ていることからこの名前の由来となっているようです。水中のリンや窒素を吸収し水質浄化などができるそうですが、ある程度の気温と日光さえ爆発的に増えるので限られたエリアでの栽培が良いようです。 花は朝咲いて、夜にはしぼんでしまうことがあるようです。満開だと聞いて次の日出かけたら全然咲いてない事もあるのだとか。 |
| とても気まぐれですが、うまくタイミングが合えば池にびっしりと花で埋め尽くされそれは見事です。聞いたところ日差しが強いのを好むらしいので、どちらかといえばひまわりのように夏の花のようですが、意外と咲きほこる期間が長く10月中まで楽しめます。 花ビラの上のひとつが濃い紫でその真ん中が黄色になっているのですが、それが妖艶で美しくついぼっ〜と眺めてしまいます。 観光の資源としての花もいいものだなと思います。一瞬だから美しい、人はそういうものが好むのでしょう。ここは9月に入ったら毎年見に来たいそんな場所です。 |

